メニュー 閉じる

2011年8月28日

先立つ主イエス(2011.8.28)

宣教題  : 「先立つ主イエス」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : マルコ  16章1節~8節
復活された主イエスについて「あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる」(7節)と告げられていることは、主イエスが予告されたことであり(14章28節)、自ら十字架に向かって決然として先立ち行かれたお姿でもありました(10章32節)。先立たれる主イエスは、どういうお方なのなのでしょうか。

1.復活の命を与える主
主の弟子たちとペトロがガリラヤに戻ることは、彼らにとってはもう一度やり直そうとの願いがあったからかもしれません。ただ確かなことは、死んだらお終いだとの暗い思いに捕らわれていたということです。死に勝利して復活された主イエスは、そうした彼らに永遠の命を与えて生きるものとするために、ガリラヤに先立って行かれたのです。
私たちが信仰を与えられるようになるには、各々その道筋をたどります。ただ共通していることは、復活の主イエスが先回りして出会ってくださり、復活の命に生きる者にしてくださるということです。それは、今までとは違う解き放たれた自由と喜びと平安に生きることです。

2.再起動される主
主の弟子たちだけでなく、マグダラのマリアを始めとする女性たちは、ガリラヤに向かって先立たれる主イエスの後ろ姿を見ながらついて行きました。主の弟子たちにとっては、それはふりだしに戻っていくことでもありました。かつて主イエスは、そのご生涯をガリラヤ伝道から始められ、弟子たちは「イエスの後について行った」からです(1章14~20節)。先立たれる主イエスは、彼らを使命の原点に立たせ、再起動させようとされたのです。
十字架に死んで復活され、今も生きておられる主イエスは、私たちを絶えず初心に立ち返えらせて、与えられている使命に振い起させてくださいます。私たちは、死と恐れが支配しているように見える中にも、「ここは、復活され、先立たれる主イエスが支配しておられる」との信仰に立ち続けたいものです。