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2011年2月6日

御前を去らじ(2011.2.6)

宣教題  : 「御前を去らじ」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : マルコ  14章10節~21節
この箇所は、主イエスと12人の弟子が、横になって過越の祝いの食事をしている場面です。ここには、主の弟子たちが誰一人として主の御前から去っていくことがないようにとの、主の御心が明らかにされています。

1.主イエスと一緒にいるゆえに   10~17節
主イエスの一行が過越の祝いの食事をするために準備された場所は、「ニ階の広間」でした。「イエスは12人と一緒にそこへ行かれた」のでした。
この場所こそ、復活された主を信じられないでいた弟子たちが集まっていた所であり(ヨハネ20章19~23節)、主の昇天後に弟子たちが集まって祈っていた所であり(使徒言行録1章13~14節)、エルサレム教会危機の時に弟子たちが祈っていた所でした(同12章12節)。そうした度ごとに、主の弟子たちは、主の最後の晩餐の出来事を何度も繰り返し思い起こしたことでしょう。
同じように、私たちは、主イエスと一緒の教会の交わりに加えられています。どうして、一緒におられる主の御前を去ることができるでしょうか。

2.主イエスの愛にとどまり続けるゆえに  18~21節
そこは、ただ楽しい思い出だけでなく、主イエスの弟子の一人が裏切るという深い痛みを思い起こす場所でした。彼らは、そのことを主から聞かされて心を痛め、「まさかわたしのことでは」と次々に尋ねています。
しかし、彼ら以上に深い痛みを覚えられたのは主イエスであり、最後の最後までイスカリオテのユダを愛し抜かれ、その愛にとどまり続けるように招かれています(マタイ26章50節)。それに対してユダは、主の愛の外に出て行ったのでした(ヨハネ13章30節)。
私たちは、主の御心を受けとめて担おうとするよりも、自分の思いを優先させて押し通そうとすることがあります。そんな時こそ、私たちが主の愛にとどまり続け、主の御前に堅く立つことが大切なのです。