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2011年1月16日

美しい人生(2011.1.16)

宣教題  : 「美しい人生」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : マルコ  14章1節~9節
主イエスは、一人の女がナルドの香油を自分の頭に注ぎかけたことを称賛して、「わたしに良いことをしてくれたのだ」とおっしゃいました(6節)。後にペトロは、この出来事を思い起こして、人々の心を引きつける美しい「立派な行い」と語っています(1ペトロ2章12節)。何が、美しい良いことだったのでしょうか 。

1.キリストの愛に捕えられている
この出来事の背景には、出エジプトという神の救いの御業を祝っている最中に、神の御子を殺害する人間の罪が現れています(1~2節、10~11節)。
この時になされた一人の女の行為は、主イエスの十字架と復活の「福音」と結びついています(9節)。これは、彼女が主イエスの十字架に現わされる愛に捕えられていることを証しするものでした。
今日の私たちは、主イエスの十字架によって現わされた神の憐れみによって、すべて赦され、受け入れられ、神のものとされ、礼拝者とされています(ロ-マ12章1節)。この神の愛に捕えられ、神にすべてを任せて、神に身を投げかける人生は、素晴らしいのです。

2.キリストの愛に応えている
ナルドの香油は、死体の葬りや礼拝における任職の油として用いられました。一人の女は、その高価な香油を一気に「イエスの頭に注ぎかけた」のでした。主イエスは、その行為に憤慨した人々に、彼女がこの時にしかできない、しかも彼女のできる限りのことをしたと弁護されました(4~8節)。
彼女のした良いことを無駄と言うのであれば、主イエスが十字架上で最後の一滴までも流された贖いの血は、世界最大の偉大な無駄と言わざるをえません。私たちは、主イエスに対してへりくだる時に、キリストの御姿と御業が見えてくるのです。
私たちは、いかなるものを、ナルドの香油として主イエスに注ぐことができるのでしょうか。一筋に、キリストの愛に捕えられ、その愛に応える者の心と存在は美しいのです。