題 : 「祈りがあるから」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : 使徒言行録 12章1節~17節
ここに、死に直面した二人の使徒が登場します。その結果は、ヤコブは殉教の死を、ペトロは同じような扱いをうけながらも救出されました。この事態に対して、『教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた』と、教会は祈りをもって真正面から立ち向かいました。
1.神を制限しない「熱心」な祈り
ここで、真剣かつ熱心な祈りが神にささげられています。人が神に祈る姿は、万策尽きて、全知全能の神に助けを求める姿です。人が弱さに撤し抜いて、腹の底から創造主である神を信じ、死から復活されて共におられるキリストを信頼し、言葉に表わせないうめきをもって執り成してくださる聖霊に依りすがる時に(ロ-マ8章28節)、最も弱そうに見える人間が、最も強い者に変えられるのです。
祈っていた教会は、ペトロが奇跡的に救出されたことを知らされた時、半信半疑でした(12~17節)。そんな不完全な信仰の祈りであっても、神は教会の祈りに耳を傾けてくださり、祈り願った以上に豊かに答えてくださったのです。私たちは、神がなされることに制限をしてはならないのです。
2.教会の「一致」した祈り
ここで教会が祈っていたことは、『彼のために』とあるだけで、その具体的な祈りの内容は多様なものだったと思われます。というのも、ペトロが救出されたとの知らせを聞いた人々は、神のなさったことの素晴らしさと意外性に驚いているからです。
祈る者たちの思いや考え方は様々であっても、ひたすら「彼のために」祈ることにおいて一つであれば、神はその教会の祈りを聞いてくださるのです。どう答えられるかは、神のみこころ次第なのです。教会の一致の祈りがあるところに、主の栄光が現わされるのです(ヱフェソ3章20~21節)。