題 : 「実を結ぶ若木」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : 創世記 49章22節~26節
ヤコブは、その臨終に際してヨセフに祝福の言葉を述べています。ヨセフの生涯は波瀾万丈に満ちていましたが、神への信仰によって「実を結ぶ若木」となって祝福されたのです。
1.いのちを得させる神によって
幼かったヨセフは、父ヤコブと伯父ラバンとの不仲な関係を知ったことによる不安(創世記31章)、ヤコブと神との格闘やエサウとの和解を通して知った強烈な印象(同32~33章)、兄たちが報復の殺害をしたことによる恐れ(同34章)、ヤコブの一夫多妻がもたらした家庭悲劇などを経験して心を痛めたことでしょう。さらに、若い時のヨセフが、兄たちの妬みによってエジプトに奴隷として売られるという悲惨な経験をしました(同37章)。
そんなヨセフが、「泉のほとりの実を結ぶ若木」となったのです(詩編1編3節)。それはちょうど、神のいのちのない世界に生きていた者が、恵みによって神の世界に移されて、神のいのちに生きる者となったことを意味しています。それは、ただ信仰によって受け取るものなのです。
2.共に歩まれる神によって
ヨセフは、「主が共におられたので」幸運な人となり、人からの信用も勝ち取りました。また、誘惑に際しても勝利し、言われなき訴えにも主の支えがありました(創世記39章)。境遇は変わっても、ヨセフと共におられた神は変わらないお方です。続いての失望と孤独の中で信仰が萎える時にも、神に励まされて神に祈ることは衰えませんでした(同40章、イザヤ62章6節)。
ヨセフは、エジプトの責任者となった時も、永遠に変わらない全能の神の前を歩み、自らも他者もすべて神の御手にあることを覚えて、人を恨まず、さばかず、常に神から与えられた立場と使命に生きたのです。主が共に歩んでくださってこそ、「その枝は石垣を超えて伸びる」生涯となるのです。