宣教題 : 「心を見ておられる主」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : マルコ 12章35節~44節
イエス・キリストは、ご自身が「主」であることを証言しつつ(35~37節)、そこに居合わせた人々の心を見ておられました。主イエスは、律法学者たちに見る暗い面に、それと対比するように一人の貧しいやもめの明るい面にまなざしを注いでおられます。
1.動機を見られる主 38~40節 主イエスは、律法学者たちの「見せかけの」行為に気をつけるように言われました。それは、見えを飾った虚栄の演出であり、自尊心を満足させる態度であり、あげくは弱い立場の人を横柄に扱う貪欲な態度でした。彼らの心が、こうしたことを好み、それに執着し、自分の利益のことしか考えていなかったのです。 私たちは、自らを十字架に献げ尽くしてくださった主イエスの愛の支配に、死からよみがえられて今も生きておられる主イエスの恵みの支配に生きることが大切です。主イエスは、私たちの言動の全てにおいて、この愛と恵みが動機となっているかを見ておられるのです。
2.真実を見られる主 41~44節 主イエスは、人々が献金をするのを「見ておられ」ました。それは、集中して観察する人のように、深く関わってじっと見られたということです。何と厳粛なことでしょうか。 主イエスは、表面に現われている事実を見ておられます(41~42節)。 しかし、主イエスはその事実だけで判断されないで、目に見えない真実な心を見て、それを大切にしておられるのです(43~44節)。一人の貧しいやもめは、神の愛なしには生きることができないことを知っており、その愛に応答して精一杯の信仰の献げ物をしたのでした。 私たちが主イエスを信じる信仰に生きるということは、主イエスのまなざしの中に生きることを体験し続けることなのです。