宣教題 : 「信仰の復興」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録 16章6節~15節
信仰の復興は、突然に起こるように思ったりしますが、決してそうではありません。フィリピ教会の誕生の発端となったリディアとパウロたちとの出会いの出来事は、そのことを証言しています。そこには、神の必然と人の備えがありました。
1.神の必然
この出来事は、神の側から言えば、聖霊の御働きの中に起きたことでした。使徒言行録全体が聖霊の働きの記録ですが、特にこの出来事の前に聖霊はパウロを導かれました。まず彼は、小アジアでの伝道を二度にわたって禁じられましたが、それを神の導きと信じ前進していきました。その後、彼がトロアスで祈る中から、対岸のマケドニアでの伝道の幻を見せられたのでした。
パウロ一行は、聖霊に禁じられ、目の前に開かれた宣教地に思いを馳せる中から、ひとつの結論を「確信するに至った」のです(6~10節)。
続いて聖霊は、フィリピのリディアに働きかけられ、「主が彼女の心を開かれた」のでした(14節)。
2.人の備え
そうした神の側の働きかけは、人の側に備えがあるところに成就していきます。特に、リディアに注目してみましょう。
リディアには、「神をあがめる」心がありました(14節)。それは、神を敬い、神を拝して讃え、神が共におられるとの臨在信仰に生きることです。
リディアには、規則的な祈りの生活がありました(13節)。目を見張るような業の背後には、祈りの積み重ねられた日々があったのです。
リディアには、御言葉に聴く心がありました(14節)。聖霊が彼女の心を開いてくださる前に、彼女はパウロの語ることを聴いていたのです。
私たちは、信仰の復興を必要とします。そのためには、多くの備えられた日々の、ある一日にもたらされる神の必然なのです。