宣教題 : 「愛の完成」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : マルコ 12章28節~34節
主イエスは、唯一の主である神を愛することと、自分を愛するように隣人を愛することを、二つで一つであるかのように同列のものとして語っておられます。私たちは、本気になって神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しているかということを問いかけられています。
1.愛の優位性
ここでの律法学者の問いかけは、「イエスを試そうとして」という不純なものでした(マタイ22章35節)。主イエスは、そのような問答を用いて、何を優先すべきかを明らかにされたのです。
まず、私たちが、自分の全存在・全人格をもって、本気になって主なる神を愛することです(マルコ12章30節)。その理由は、神は唯一のお方であって、私たち一人ひとりの全てにわたって神であられるからです(同29節)。そして、神に愛されている自分を愛するように、神に愛されている隣人を愛するのです(同31節)。
私たちは、絶えず聖霊によって神の愛を注いでいただき、神を愛し、自分のように隣人を愛することに勝利させていただきましょう。
2.愛の具体性
神が私たちを愛していてくださるゆえに、私たちは愛の交わりの中を生きるようにされました(1ヨハネ4章10~11節)。ところが、私たちは自らが愛し抜けない不真実な姿に気づくことがあります。そのような時こそ、私たちは主イエスの十字架の贖いの恵みに立ち続けるのです(同1章7節)。私たち一人ひとりが、主イエスの十字架を仰ぐ時、そこにある愛の力を経験するようになるのです。
私たちは、律法学者のように「神の国から遠くない」者ではなくて(マルコ12章32~34節)、主イエス十字架の愛を受け入れて、その愛に生かされ、生きる者とされましょう。