宣教題 : 「あっ、生きている!」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録9章36節~43節
ここに、キリストの弟子となっていた「タビタ」という婦人が登場します。彼女は、病のすえに死を迎えましたが、「わたしは復活であり、命である」(ヨハネ11章25節)とのキリストの宣言のとおりに、死から命に移されて、永遠の命に生きる者とされていました 。
1.キリストの復活によって
タビタがペトロの祈りを通して生き返った出来事は、かつて会堂長ヤイロの娘が主イエスによって生き返った経過と似通っています(マルコ5章21~24節、35~43節)。ただし、前者はペトロが「ひざまずいて祈り」と主イエスに対する信仰の結果でしたが(使徒言行録9章40節)、後者は主イエスご自身の力によったものでした。こうして、「多くの人が主を信じた」のでした(同42節)。栄光を現わされたのは、イエス・キリストご自身だったのです。
私たちの罪を赦す権威は、絶対者であられる神だけが持っておられます。死を超えた永遠までも保証してくださるのは、永遠の神以外にはおられません。それは、イエス・キリストの十字架と復活の救いの御業を通して明らかされたのです。この神に立ち帰ることは、私たちの最高の喜びであり、それ以上に神の最高の喜びなのです。
2.キリストの命によって
タビタは、幸いな女性信徒でした。彼女の内から溢れる美しさは、「たくさんの善い行いや施し」によって知られていました(36節)。彼女の死を悲しむやもめたちは、その生き証人でした(39節)。
罪とは自己中心に生きることです。しかし、キリストの命が与えられる救いは、私たちを神中心に生きる者に変えます。私たちは、このことを単に知的に知る、歴史的に知るだけで終わるのではなく、「この救いは、私のためでした」と一人ひとりが受け入れ、それが生活の中に浸透していくことが大切です。ですから、一度イエス・キリストを信じてその命に与かった者は、キリストの愛と命の中に自分自身を委ねて安(やす)んじるのです。神は、大地のようなお方です。