宣教題 : 「女性の感化」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 創世記 27章1節~17節
神の歴史が展開されるところには、連綿として後を絶たない聖徒の姿があり、その多くは母や妻といった女性の感化を受けています。
ヤコブがリベカから受けた感化も例外ではありません。彼らの功罪を直視しつつ、今日の私たちへの語りかけを聴くことが大切です。
1.神の約束を待ち望む信仰の感化
イサクとリベカ夫婦には、委ねられた双子の兄エサウと弟ヤコブに対してお互いの偏愛がありました。イサクはエサウを愛し、リベカはヤコブを愛し、二人の兄弟の違いが増幅され、その関係は複雑なものになっていったのです(25章28節)。ヤコブは、エサウから長子の権利を奪っただけでなく(25章29~34節)、母リベカから命じられるままに、偽ってエサウから神の祝福を奪いました(27章)。
ところで神は、リベカの胎に双子が宿ったときに「兄は弟に仕えるようになる」との約束をされていました(25章23節)。にもかかわらず、リベカはこの神の約束を認め、信じ、待ち望むことができなかったのです。神は、このような人間的な失敗も御手の中にあって用いられ、約束どおりに最善へと導かれます(ロ-マ9章10節)。神の約束に信頼して歩む信仰のゆとりをいただきたいものです。
2.惜しみない犠牲を注ぐ愛の感化
ヤコブは長子の特権と祝福を受けましたが、家におられなくなり、相続人でありながら家出人となりました。そして、20年後にヤコブが故郷に帰ったときには、リベカはすでに召されていました。つまり、リベカにとってこの事件は、最愛のヤコブとの生き別れであったのです。
さて、リベカが「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます」(13節)と言った盲目的ともいえる母性愛の中に、犠牲的な愛、贖罪愛の一断片を見ることができます。人は神の愛に触れてこそ、その愛に生き、その愛を注ぐことができるのです。
リベカの神は、私の神であり、私たちの神であり、あなたの神なのです。