宣教題 : 「選びの器」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録 9章1節-19節
神の時、神の霊、神の人が相重なるように展開されているのが、使徒言行録です。
聖霊の注ぎと満たしによって、どのような神の人が造られていくのでしょうか。その良い一つの例として、サウロが選びの器として祈る中に見い出すことができます。
1.生きておられるキリストの御前における祈り 1~6節
サウロは、当初キリストの福音に対して敵意と反感と憎しみに凝り固まった迫害者でした。彼は、主イエスは過去の人であって、今も生きておられる神として信じていなかったのです。復活のキリストは、そんなサウロにご自身を現わされて、教会を迫害することが神であるキリストに対する罪であることを明らかにされました。そして、神の大きな憐みによって立ち直らせてくださる救いの道を示されました(1テモテ1章12~17節)。
私たちに聖霊が臨むと直ちに自覚することは、キリストが共におられるという現実です(使徒言行録2章25節)。生きておられるキリストの御前に自分自身を置いて心を開くなら、主が何をしてくださるかを見ることができるようになります。主が共におられることを自覚する生涯は、どのような障害をも乗り越えさせます。
2.砕かれ、へりくだる祈り 7~19a節
復活のキリストにお会いしたサウロは、何も見えない状態で人々の手に引かれ、ダマスコで三日間を祈りの中に過ごしました。この時、人の助けを必要としない誇り高い人物であったサウロが、砕かれていく経験をしたのです。
そのために、この時だけ神の歴史の舞台に登場した「アナニア」が用いられて、使徒パウロが生み出されたのでした。アナニアは、神の御言葉を信じ、神の救いの御業を信じ、サウロとその祈りを信じて、執り成し、サウロを新しい使命へと導きました。そのようにして、サウロは目が開かれ、聖霊に満たされて、真に神に生きる道を示されたのでした。
私たちは、サウロと同じように主から選びの器とされています。主なる神は、砕かれて、へりくだった霊の人の祈りを求めておられます(イザヤ57章15節)。