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2010年4月18日

偽りのない信仰(2010.4.18)

宣教題  : 「偽りのない信仰」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録 8章9節~25節
ここに登場するシモンは、神の御業に対して無頓着な人物でした。つまり、聖霊のご支配と導きに生きるのではなく、自分が聖霊の働きを支配しようとするものでした。そのような在り方が、「心が神の前に正しくなかった」(21節)と指摘されています。それは、どうした点においてでしょうか。

1.神の賜物であるとの理解において
シモンは、フィリポを通して主イエスを信じ洗礼を受け、いつも彼について歩きました。そのシモンは、ペトロとヨハネを通してなされる聖霊の御業が魅力的に見えたので、それと同じ業ができる力を金で買おうとしたのでした。当然のことながら、ペトロはシモンを叱責し、「この悪事を悔い改め」ることを迫りました。
神の救いの御業は、すべて神からの賜物です。主イエスの十字架と復活によって与えられた罪の赦し、新生、永遠の命の賦与などの救いの恵みは、ただ主イエスを信じる信仰によって受け取るものなのです。そして、私たちにその恵みを具体的に与からせてくださるのは聖霊であり、聖霊に支配され続けて行くことが大切なのです。こうした神の賜物は、私たちの罪や汚れや無力さしか持ち合わせない私たちにとって、「ただ」信仰によって与えられるのです。
2.神の栄光のためにという動機において
シモンの動機は自分を偉大な者として見せつけることであり、その有様は古い自分に縛られている状態でした。ペトロは、そのようなシモンを悔い改めに導こうとしましたが、自分の護身を懇願するだけでした。そうした中でも、ペトロとヨハネは「主の言葉を力強く証しして語った」のです。
神の賜物に与かった者は、神の栄光が現わされることを願い求めます。決して自分を誇示して、自分を見せようとは願いません。ここに、神の前に謙遜かつ正しく生きる姿があります。
私たちは、内にシモン的なものが潜んでいないかと問いつつ、絶えず栄光を主に帰していく歩みが必要です。