宣教題 : 「祈りの力」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : マルコ 11章20節~25節
主イエスが呪われたいちじくの木は、翌日の朝には根元から枯れていました。その光景に驚嘆する弟子たちに、主イエスは信仰に裏打ちされた祈りの力について教えられたのです(20~21節)。
1.疑わないで信じる祈り 22~24節
主イエスが「少しも疑わず」にと語られたのは、弟子たちが風に吹かれて揺れ動く海の波のような状態であったからです。つまり、一方では神の御言葉に基づいて信じ祈っても、片方では神の言われるとおりにはいかないと疑う心があったのです。それは、「生き方全体に安定を欠く人」の姿を表しています(ヤコブ1章6~8節)。
主イエスは、そんな弟子たちに「神を信じなさい」、すなわち神への祈りを信じなさいと命じられました。それは、山をも動かすことのできる祈り、すなわち不可能を可能とされる神への信仰の祈りであり、それによって人が経験する困難・試練などが除き去られると言われたのです。私たちにとっての最大最高の山は、全ての人に共通する罪と死です。これらは、主イエスの十字架と復活による救いによって、すでに取り除かれているのです。今私たちには、「既に取り除かれたと信じる」信仰の祈りが求められるのです。
2.赦しの恵みに立ち続ける祈り 25節
主イエスは、祈る者が備えておくべき大切なこととして、正しい対人関係をつくり、また保つことを勧められました。それは、神との関係が正しくつくられていてこそ可能となります。これを妨げるのは、「あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる」との神の赦しの恵みを疑わせる罪だけです。
私たちが神を疑い、主イエスの救いを疑い、祈りを疑う不信仰の罪を持ったままで祈っても、神は自動的にその祈りを聞いてくださるお方ではありません。主イエスの十字架の赦しの恵みに堅く立ち続けて祈ることが大切です。
信じて祈る祈りにこそ力があります。私たちは、祈りにおいて取り扱っていただくことにより、豊かな実を結ばせていただけるのです。