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2010年3月21日

喜びの拡大を(2010.3.21)

宣教題  : 「喜びの拡大を」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 使徒言行録 8章1節~8節
キリストの十字架と復活の福音は、迫害の中にあっても前進し続け、勝利をもたらしました。その結果、人々に大きな恵みが注がれ、「人々から非常に好意を持たれて」いました(4章33節)。
さらに、散らされた主の弟子が福音宣教を拡大していったことにより、人々に救いの喜びが拡がって行ったのです(8章8節)。

1.試練を通して拡がっていく  1~4節
ステファノの殉教の死は、人々に大きな悲しみをもたらしました。また、教会は大迫害を受け、使徒以外の主の弟子たちは散らされるという試練を経験しました。
しかし、神は生きておられ、試練を試練のままで終わらせなさいませんでした。それを逆手にとるかのようにして、散らされて行った主の弟子たちによって福音宣教が拡げられて行きました。また、この出来事を通して、サウロが救われる伏線となりました。神が働かれると、どんなに荒れ狂った迫害者も、神によって新たに用いられるようになるのです。
このように、福音がもたらす神の創造的な御業は、いかなる状況下であっても、それを価値あるものとされるのです。

2.恵みの器を用いて拡がっていく  4~8節
宣教の領域は拡がって行きます。散らされて行った主の弟子たちは、ギリシャ語を使う人たちで、ギリシャ語を使う地域へと遣わされて行きました。彼らは、使徒ではなくて、言わば信徒でした。その中の一人に教会に仕えるフィリポがいました。このように、教会に対して起きた迫害は、むしろ信徒の働きに拍車をかける結果となったのです。
主の弟子は、関わることのできる領域や地域や関係筋といった恵みの場に遣わされて行きます。そこにおいて、キリストの救いに与かっている者は、生きておられるキリストを見ることはできませんが、キリストを愛するという喜びに生きるようになるのです(1ペトロ1章8~9節)。このようにして、集められては散らされて行く恵みの器は、福音に与かっている大きな喜びを拡大していくのです。