宣教題 : 「教会に生きる」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録 20章17節~35節
キリストとの出会いがその人のキリスト観に、教会との出会いがその人の教会観に影響を与えます。さて、神が御自身の血をもって贖い「御自分のものとなさった神の教会」とは、どのような群れであり、また私たちはそこでどのように生きていくのでしょうか。
1.キリストを宣証する群れ 18~27節
パウロは、謙遜と愛と忍耐をもって、ひたすらキリストに仕えました。そのためには、どの人にも分け隔てなく、ありとあらゆる方法を用いて神の恵みの福音の全てを証しし宣べ伝えました。そして、その任務を果たすことで十分であると語っています。このように、パウロが謙遜かつ大胆になれたのは(19節、24節)、全ては神の憐みであり恵みであると自覚していたからです。(1テモテ1章12~17節)。
私たちが教会に生きるのは、このようにキリストを証しし宣べ伝えるためです。
2.聖霊によって牧される群れ 28~31節
教会は、キリストの血によって贖われ、神のものとされた人によって構成されています。ですから「神の教会」は、神のものなのです。聖霊は、教会を神のものとさせないようにする働きかけから守り、また牧する監督者を任命されます。そうするのは、群れの一人ひとりが神への礼拝と奉仕がささげられるようにするためなのです。
私たちが教会に生きるのは、聖霊によって牧される群れが建て上げられ、一人ひとりが整えられていくためです。
3.神の御言葉に立つ群れ 32~35節
神の御言葉は、信仰者を造り上げる力があり、教会の基礎を固めていきます(9章31節)。また、永遠の命の恵みを受け継ぐまで導く力があります。ですから信仰者は、神の御言葉を信頼して、自分も他者も御言葉に委ねるのです。パウロは、「受けるよりは与える方が幸いである」との神の御言葉に委ねる生き方を証ししています。 私たちが教会に生きるのは、神の御言葉に立って生きることの幸いを知り、学び、体得するためです。