題 : 「恵みを待つ」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : マタイ 11章2節~15節
バプテスマのヨハネが、主イエスに「来るべき方は、あなたでしょうか。・・・」(3節)と問いかけたことに対して、「わたしにつまずかない人は幸いである」(6節)と答えられました。幸いとして下さる神の恵みは、すでに主イエスによって与えられていますが、さらにその恵みを日々に待ち望む者には新たにされていきます。
1.恵みの主を待つ
バプテスマのヨハネは、主イエスの道を備えることを生涯の使命とした人物でした。しかし彼は、ここでは牢獄に捕えられ、まもなく最後を迎えようとしています。バプテスマのヨハネの弟子たちは、この現実を受け入れることができず、主イエスに疑問を投げかけたのです。主イエスは、そんな彼らがつまずかないように勧められたと考えられます。
ところで、バプテスマのヨハネ自身は、悔い改めることを語り(3章2節)、主イエスこそ「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ3章29~30節)と証ししてきました。そして主イエスは、神の恵みの世界に罪の支配が挑んでくることを明らかにしつつ、ご自身の十字架の勝利を見ておられます(12~13節)。私たちは、十字架と復活に現わされた主の恵みを仰ぎ見続けることが大切です。
2.恵みの力を待つ
つまずいたのは、与えられた使命が失敗に終わった
のではないかとの疑問を抱いていた、バプテスマのヨハネ自身ではなかったかと思われます。彼は、試練の中にあって、自分が信じてきたことと、経験していることとのギャップに悩んでいたのです。彼が、そのことを主イエスに問いかけたことが幸いでした。それに対して主イエスは、神の恵み、神の救いの力は、もうすでに働いているので、「飼い葉桶に降誕され、十字架に架かるわたしにつまずかない人は幸いである」と語られたのです。
私たちは、様々な試練の中において、主イエスの救いの恵みの力がいつも働いていることを知ることが大切です。そこでこそ、試練に耐える力、愛する力を体験し、その中を生きていくことができるのです(2コリント12章9節)。