題 : 「神の祝福に与かる」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : 創世記 27章18節~29節
イサクの生涯の最大の出来事は、モリヤの事件でもなければ結婚のことでもありません。彼が信仰によって二人の子を祝福したことです(ヘブライ11章20節)。今日の私たちは、イエス・キリストの救いの恵みを体験した者として、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神の愛と、聖霊の交わりの確かな祝福に与かっています。
1.霊的な祝福である
イサク家の家族画を見ていくと、夫婦・親子・子どもたちは、神の御心に適わないことをしました(25~27章)。アブラハムが神から与えられた祝福は、その子イサクに受け継がれましたが(26章2~5節)、イサクは自分の身を守るために妻リベカを犠牲にしようとする失敗がありました(同6~11節)。彼らの間に与えられた双子のエサウとヤコブには、神の祝福を奪い合うということが起こりました。兄のエサウが長子の権利を弟ヤコブに譲り渡したことを皮切りに(25章27~34節)、ヤコブは母リベカの欺きの手段を用いた策略によって、イサクから神の祝福に与かりました(27章1~29節)。
ともかくヤコブは、神の祝福に与かりたいとの切なる願望がありました。それに対して、イサクは「どうか神が」(27章28~29節)と、神からの霊的な祝福をヤコブに受け継がせたのです。
2.永遠に至る祝福である
神の祝福は、単なる一時的なこの世にある間だけのものではなく、「将来のこと」も含む永遠に至る祝福でした。この祝福が本当に分かると、私たちの人生の用い方、価値判断の基準が変わってきます。
このことは、私たちにとって大いなる福音です。神は、どんなに陰険で罪深く、失敗の多い者であっても、イエス・キリストの十字架と復活のゆえに、それを赦し、きよめてくださり、神の祝福に与からせてくださるからです。
私たちが知ってほしいと願うものは、イエス・キリストの救いに現わされた神の愛であり、受け継いでほしいと願うものは、その神の祝福に与かる信仰です。