題 : 「この人による以外に救いはない」
宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖 書 : 使徒言行録 4章5節~22節
生まれながら足の不自由な男は、有りのままの自分を主イエスに委ねて、いやされ、救いに導かれました。このことを通してペトロは、「(イエス・キリストの)ほかのだれによっても、救いは得られない」ことを証言したのです(12節)。
1.主の激しい御愛が注がれている
この救いの出来事は、ペトロが民衆をキリストの救いと信仰への招きをする機会となりました(4章4節)。逆に、この事実を受け入れようとしない指導者たちは、ペトロたちを逮捕して留置し、議会で尋問しました(1~6節)。その尋問内容は、「何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」ということでした。ペトロは、「イエス・キリストの名による」救いの御業であると、単刀直入に答えています(7~11節)。
ここで強調されている「わたしたちが救われるべき」とは、救われるために主イエスの激しいまでの御愛が無制限に注がれているということです。主イエスのこの御愛が、十字架にまで行き着き、死を征服し、復活をもたらして下さったのです。
私たちは、「ほかのだれによっても、救いは得られません」と信じて、主イエスに身を委ねるだけなのです。
2.主の激しい御愛に押し出される
この主の御愛を体験した者たちは、その御愛に迫られ、押し出されています。主の御愛は、「無学な普通の人」を用いて「大胆」にします。それらの人は、いつも主と共にいて、主イエスに救いの全てがあることを確信しています(13節)。
ここに、大胆に福音を語るペトロがおり、彼の傍らに立って祈り支え協力するヨハネがいます。そして、彼らの「そばに立っている」無言の証人がいます(14節)。この人こそ、主イエスによっていやされ救われた人でした。周囲の人々は、「この出来事について神を賛美していた」のです(21節)。
教会は、「ほかのだれによっても、救いは得られません」との福音を語り、それを祈り支え、その福音に生きる人によってつくられていくのです。