題 : 「キリストがすべて」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : フィリピ 4章21節~23節 復活されたキリストは、世の終わりまで常に私たちと共にいて下さり(マタイ28章20節)、私たちと親密な交わりを持ってくださいます。 このように、キリストが私たちのすべてとなってくださるので、聖なる者の交わりは豊かなものなり、神の祝福に生きるようになるのです。
1.聖なる者の交わりに生きる 21~22節 この手紙の結びは、パウロ及び彼と一緒に神に仕える者たち、そして聖なる者とされた者たちから、フィリピの聖なる者たちに送られた挨拶となっています。聖なる者とは、「イエス・キリストは私の主です」と告白した者のことです。彼らは、贖い主であるキリストに結ばれ、キリストの復活の命に与っている者たちです(ヨハネ15章5節)。 聖なる者たちの間には、キリストにある愛と信頼とによって親しい交わりがありました(1章5節、同7節、2章1節、3章10節、4章14節)。違いをもった人たちが、共通のものを見つめ、それを共有することを確認しつつ交わっています。このように、キリストがすべてとなっている者たちの交わりは、おごりも、嫉妬も、気負いも、気落ちもありません。
2.神の祝福に生きる 23節 パウロの手紙の最後は、必ず「主イエス・キリストの恵み」で締めくくられています。私たちの信仰の出発も、信仰の過程も、その終着もキリストの恵みによって導かれます。そして、神は、私たちを恵みの器として用いてくださいます。 パウロは、この神の恵みが「あなたがたの霊と共にあるように」と祈っています。これは、一つの御霊によって一つとされているキリストの教会の上に、そこに結ばれている一人ひとりの上に霊的祝福があるようにとの祈りです。 礼拝は、牧師の祝祷である祝福の言葉で終わります。それは、祝福を祈るというよりも、祝福を告げるのです。その週に死を迎えることがあっても、祝福のうちに死ぬのです。厳しい試練が訪れても、祝福のうちにある確信をもって戦うことができるのです。神が御顔を背けられることはないからです(民数記6章24~26節)。