メニュー 閉じる

2009年3月1日

信仰者の楽しみ(2009.3.1)

題   : 「信仰者の楽しみ」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : フィリピ 4章1節~9節
キリスト者は、「主によって」「主において」とあるように、主にある者です(1節、2節、4節、7節)。それは、キリストに身を置く者であり、キリストとの交わりの中に生涯を歩む者です。その生活は、キリストとの交わりを楽しむことにより、信仰と品性が造られていくのです。

1.主にある信仰  1~3節
フィリピの教会は、愛の祈りと労苦また献げものをもってパウロの伝道に惜しみなく協力しました。パウロは、そんなフィリピ教会と聖徒たちを愛し、慕い、喜び、自分の伝道生涯の冠だと言っています。そして、主にあって、主の再臨と栄化の恵みに与かる望みの信仰に堅く立っているように勧めています(1節)。
しかし、この教会には、福音のために共に戦ってきた婦人たちの間に不調和がありました。パウロは、彼女たちに主にあって同じ思いを抱き続け、教会内が互いに協力し合い、支え助け合うように懇願しています(2節)。
不調和が生じたら、互いはみなキリストの体に連なる一人ひとりであるとの自覚、互いに福音宣教の協力者であるとの自覚、互いは「命の書に名が記されている」との自覚をもって、「主にある信仰」に徹することが大切です。

2.主にある品性  4~9節
主にある信仰によって結ばれる聖霊の実が、主にある品性となっていきます。
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と、主にある者は、いつでも、どこでも、どんなときでも喜びが溢れてきます(4節)。そして、その喜び溢れているなら、共におられる主の「広い心」でもって、赦し合い、愛し合うことができるようになります(5節)。
さらに、主にある喜びがあるところには、「神の平和」が信仰者の心と考えを支配します。それを妨げる思い煩いから解き放たれるためには、主なる神への全き信頼をもって、感謝をもって具体的に祈りと願いをささげることです(6~7節、ヨハネ11章41節参照)。このように、御言葉に生きる者と共におられる「平和の神」が、私たち信仰者を楽しませてくださるのです(8~9節)。