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2008年12月7日

大いなる恵み(2008.12.7)

題   : 「大いなる恵み」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : ルカによる福音書 1章26節~38節
クリスマスの出来事は、キリスト降誕に仕えた人々の日常生活を中断させることによって起こっています。この中断の体験は、ここに登場するマリアにとって、大いなる恵みとなったのです。

1.恵みとの出会い  26~34節
マリアに対しての受胎告知は、処女降誕の事実を伝えるものでした。それは、神からの恵みによることでした(28、30節)。彼女の懐妊は、神の御子を宿すほど高い所に登り詰めたからではなく、聖霊によることでした(35節)。この戸惑いを覚えるような経験は、神の恵みとの出会いによって生れています。今日の私たちにとっても大切なことは、神の恵みと出会うことです。
この恵みとの出会いのために、神ご自身が身を屈めるように、人となってくださいました。その生涯は、僕として仕える歩みをしてくださいました。そして、終に十字架で私たちの救いのために身代わりとなってくださいました。このように、神は一所懸命になって私たちを愛し、神の恵みを届けてくださったのです。私たちは、この「恵みにより、信仰によって」救われたのです(エフェソ2章8~9節)。

2.恵みによる立て直し  35~38節
神の恵みに出会うと、その恵みにとらえられ、恵みによる立て直しが起こります。「神にできないことは何一つない」と、神の恵みのわざは必ず実現すると告げられたのです。この信仰の試みに対してマリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、周りの人々が気づかない中で受けとめました。ただ、この決断に、人類の救いがかかっていたのです。
私たちの信仰生活とその生涯は、大小さまざまなことにおいて、個々の場面において、こうしたマリアのような決断の連続です。その決断を支えるのが、お言葉です。そのお言葉を聴き続ける必要があります。その時に、主が共におられることを分からせていただくのです。
キリストご自身とその恵みを覚えて、お言葉が私たちの内に成ることを第一の願いとしつつ、新しい歩みをつくらせていただきましょう。