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2008年11月2日

人生の嵐の中で(2008.11.2)

題   : 「人生の嵐の中で」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マルコ 4章35節~41節
主イエスが突風を静められた出来事は、世々の教会や信仰者がしばしば経験してきたことを現しています。舟は教会であり、主イエスがその水先案内人です。主イエスがいつも父なる神を信頼しておられたように、舟に乗り込む信仰者が主イエスを信頼しているならば、いかなる突風の中にあっても大丈夫なのです。

1.御子の御父への全き信頼
主イエスは、押し寄せてきていた群衆と距離を保つため、舟に乗って向こう岸に行こうとされました。宣教の働きの疲れを覚えられたこともあって、主イエスは突風の最中でも眠っておられました。
しかし、主イエスは単に休養をとられたというのではなく、神のみこころである宣教の働きが進められるために、ガリラヤ湖の東にある異邦人の住む地域に向かわれたのでした(5章1節)。ここでの主イエスの姿は、御子が御父の懐で憩うようにして、全てを委ねて信頼しておられることを現しています。
この全き信頼は、主イエスが十字架で苦しまれた時でさえも揺らぐことはありませんでした。聖霊が主イエスと交わりをもちつつ、支えておられたからです(ヘブライ9章14節)。

2.私たちの主イエスへの揺ぎない信頼
一方、弟子たちは激しい突風と戦っていました。自然の猛威を恐れている彼らに対して、主イエスは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われました。
主イエスから「向こう岸に渡ろう」とみことばを聞きつつ、しかも主イエスが同舟して共におられたにもかかわらず恐れていたからです。そして、主イエスに対して非難する思いを持っていたからです(38節)。
このように弟子たちは不信仰でしたが、主イエスはあわれみをもって突風を静められました。その結果、主イエスに対する畏れの心を抱くようになった弟子たちは、もはや恐れる必要のないものを恐れないようになったのです(40~41節)。
信じて生きるとは、平凡な日々であろうと、荒れ狂う苦難の時であろうと、主イエスに対する揺ぎない信頼をしていくことです。そのためには、共におられる主イエス・キリストの真実に触れることが大切です。