題 : 「真実な結実」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : マルコ 4章1節~20節
私たちは、農耕の世界だけではなく、様々な分野において「種を蒔く」ということをします。その中でも、「神の言葉」の種を蒔くことが、私たちに託されている大切なことです。そして、豊かな結実を期待しますが、そのために必要なことは何でしょうか。
1.開かれた耳をもつ
たとえ話で語られていることは、種の良し悪し、蒔き方の良し悪しは問題とされていません。問題は、土壌にあると語っています。神の言葉の種を蒔く人は、主イエスご自身であり、主の弟子たちであり、私たちです。問われていることは、神の言葉を聞く人の姿勢です(3節、9節)。
神の言葉を聞くことに集中しないで、聞く心を閉ざしてしまうと、御言葉はサタンに奪われてしまいます(15節)。
神の言葉を喜んで受け入れても、それが気まぐれであった場合、困難や迫害に遭うとつまずきます(16~17節)。
神の言葉を受け入れても、この世の思い煩いや富の誘惑や様々な欲望に支配されると、知らないうちに御言葉が塞がれてしまいます(18~19節)。
神の言葉を聞いて受け入れ、絶えず御言葉を優先させていくなら、その人の内に豊かな結実を見ることができます(20節)。
神の言葉を聞こうとする開かれた耳をもつときに、神は御言葉どおりの御わざをなされるのです。
2.結実の切なる願いをもつ
神の言葉を聞いて受け入れる人は、全面的に受け身というのではありません。試練にも耐えて、実を結ぶ人であることが求められます。すなわち、始めから自分は良い地だと思って漫然としているのではなく、神の恵みによって励まされつつ、結実のために労することです。そして、良い地になっても、三十倍、六十倍、百倍とあるように、百倍の実りとなることを目指すのです。
いかなる時も、コツコツと御言葉の種蒔きがなされ、その御言葉を受け入れるに際しては誠実な努力がなされることが必要です。そうするなら、豊かな実を結ばせてくださる神の働きが見えてくるのです。