題 : 「真実なきずな」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : マルコ 3章20節~35節
この箇所には「身内の人たちは」(21節)、「イエスの母と兄弟たち」(31節)とあるように、一貫して「家族」及び「神の家族」のことが取り上げられています。
そこにおいては、神を畏れ敬い、神を中心にした絆で培われていくことが求められています。具体的には、どのような絆によるのでしょうか。
1.罪の赦しに生きる絆 20~30節
主イエスは、熱烈かつ熱狂的と思われるほどの御わざをなさいました。しかし、律法学者たちは、イエスが悪霊に取りつかれて業をしているのだと非難したのです。
それに対して、主イエスは大きなあわれみの心で警告されています。人は、悔い改めさえすれば「犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される」と、徹底した恵みを語られました(1ヨハネ1章9節参照)。しかし、主イエスが聖霊によって行なわれている愛の御わざを、あたかも悪霊のしわざであるかのように汚し続けるなら、「永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」ことになると言われました。聖霊こそが、私たちを神に向かわせ、イエスを救い主と告白させてくださるお方だからです。
私たち一人ひとりが、主イエスの救いの御わざに対する聖霊の促しと導きに真剣に応答することによって、私たちは罪の赦しという恵みの絆に結ばれて生きることになるのです。
2.神の御心に生きる絆 31~35節
神の家族の一員とされているのは、「外に立ち」イエスを捜し求めるのではなくて、イエスの「周りに座って」いる人です。それは、血縁関係よりも強い、新しい絆に生きることです(ヨハネ1章12~13節)。
彼らが座っているのは、主イエスが語られることに耳を傾けるためです。そこで、「神の御心」を聴くのです。そうすることによって、神の御心に生きる生活を選び取り、神の御心に生きる生活を深めていくのです。
このような「神の御心を行う」生活を通して、新たな夫婦や親子の家族関係の絆がつくられていくのです。そして、「わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」という神の家族の絆が堅くされていくのです。