題 : 「キリストのすばらしさ」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : フィリピ 1章12節~20節
イエス・キリストの救いをいただき、いつも感謝をもって喜び満ちていたことを証しするのが「フィリピの信徒への手紙」です。
ここでパウロは、自分の身によってキリストのすばらしさが現され、さらに拡大されることを絶えず願っています(20節)。それは、どのようにして成されたのでしょうか。
1.生きざまを通して 12~18節
まずパウロは、監禁という自分の身に起こった生きざまを通して、キリストのすばらしさが拡大されていったことを語っています。それが、福音が新しい展開に切り開かれていくという、福音の前進に役立ったというのです。
すなわち、監禁されるという苦しみを通してでしか伝えることのできない人々に、福音が届けられたのでした(4章22節)。その結果、他のキリスト者の信仰に確信を与え、信仰を深め、彼らを福音の証し人としました(12~14節)。
ところが、純粋な愛の動機で福音を語るだけでなく、自分を誇示するという自分中心の動機で福音を語る者もいました。
それでもパウロは、一貫して、キリストが告げ知らされていることのみを喜びとしました。キリストのすばらしさが現されることのみを喜んだからです(15~18節)。そこに行き詰まりはなく、前進あるのみです。
2.祈りと聖霊の十分な供給によって 19節
以上のような一連の試みは、パウロに霊的成熟をもたらし、キリストに似たものにされていく救いの道となりました。彼は、監禁されている中で、つぶやかず、いらだたずに、常に喜び、絶えず祈り、事ごとに感謝するという聖別にあずかることを体験的に知ることとなったのです。
そのように確信させてくださったのは、聖徒の祈りと聖霊の十分なまでの供給によるのでした。それはちょうど、聖霊が指揮者のようになって、聖徒たちが祈りを合わせて一つとなっていく時に、どんな行き詰まりや困難の中にあっても、キリストのすばらしさは拡大し、福音は前進していったのです(マタイ18章18~19節)。
私たちは、自分が何者であるかを現すのではなく、いかなる時も、キリストのすばらしさを現させていただきたいものです。