題 : 「喜びの連続」 宣教: 川原﨑 晃 牧師
聖書 : マルコ 1章29節~39節
主イエスは、シモンの姑をいやされ、人々に対しても数々のみわざをなされ、さらに宣教を展開していかれました。シモン・ペトロは、そうした一連の出来事を喜びをもって語り、人々も喜びをもって聴いてきました。
私たちは、自らが体験する様々の出来事を主イエスとの生きた関わりの中で捉え直すとき、喜びが連続して溢れてきます。
1.家族と共に主に仕える喜び 29~31節
シモンの姑は、彼らの家に来られた主イエスによってその病がいやされました。彼女は、それ以来喜びに溢れて、主イエスに仕えるようになりました。この出来事は、シモン・ペトロにとっても終生忘れることのできないこととなり、彼の妻も喜びをもって主に仕えるようになりました(第1コリント9章5節参照)。
何もかも捨てて主イエスに従うことは、後には勝れる祝福と永遠の命を受ける恵みとなるのです(マルコ10章28~31節)。
主イエスは、ご自身に従う人のみか、その家族の一人ひとりにも心をかけ、思いを向け、一緒に主に仕える喜びへと導いてくださいます。
2.主からの使命に忠実である喜び 32~39節
主イエスは、病める人々を深くあわれんでいやし、神の恵みを現されて、愛のゆえに人々の必要に応えられました。ところが、主イエスは祈られる中で、父なる神のみこころは、福音の宣教によってもたらされる神の救いであることを確認されました。そこで、病をいやすこと以上に、時にはそれを捨て去るようにして、福音の宣教を最優先しておられます。
ペトロは、主イエスがカファルナウムで祈られたこの祈りを覚えつつ、その同じ祈りに自らも置くようにして従う喜びを経験しました。そして、ペトロはこの後、ガリラヤからロ-マにまで至る福音宣教の使命を主イエスと共に進めていきました。
今日の私たちが最も優先すべきことは、神の恵みが生き生きとなされる魂のいやしと救いのみわざが起こされることを祈ることです。そして、その恵みにあずかった私たちが、福音宣教の使命に忠実に生きることを喜びとすることです。