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2008年1月1日

涙の種まき、喜びの収穫(2008.1.1)

題   : 「涙の種まき、喜びの収穫」   宣教:  福田 勝敏 牧師
聖書  : 詩編126編1節~6節
本編は「バビロン捕囚から帰国した時の歌である」とする学者が多くおられます。確かに、長い間外国に捕囚の民となっていた人々が解放されて祖国に帰ってきたとしたら、どんなに大きな喜びであったかを想像することが出来ます。

1.大きな業
70年間バビロンに捕囚となっていたユダの人々は、前538年ペルシャ王キュロスによって解放されました(エズラ1:1~4)。エズラは「「主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシャの王キュロスの心を動かされた」(エズラ1:1)と明記しています。
異邦の王の心をも動かして神はユダの人々を解放されました。イエス・キリストのご降誕、十字架、復活もすべて神のご愛のゆえに行なわれた、人間すべてに提供された奇跡でもあります。

2.ネゲブの川の流れの回復
ネゲブは、年間雨量の少ない地域で、よく旱魃(かんばつ)がありました。詩編の記者は、このような涸れ果てた川を見ながら、今も尚バビロンから解放されないで残っている仲間を、川の流れのように帰らせてくださいと言っているのです。
雨が降ると一気に川の中に水が流れ込んで、汚れた物を洗い流します。さらに、流れが戻ると草や花の芽が一斉に吹き出します。これは神様の救いに与かった者の心の姿です。

3.種まく人
種をまく作業は、後の豊かな収穫を期待します。わたしたちは、神によって救われ、新しい命に生かされた者です。この新しい年、わたしたちがいただいた恵みを一人でも多くの方々に宣べ伝える者でありたいと思います。これこそ種蒔くことです。
時には恐れも感じるかも分かりません。今までの経験が、あまりにも収穫が少なかったために蒔く前から失望している人もおられるかも知れません。
しかし、パウロは言います「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしには全てが可能です」(フィリピ4:13)と、ただ主にのみ期待して新しい一年間、種を蒔き、収穫の喜びを味わわせてもらう年としていただきましょう。