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2008年1月20日

聖霊の注ぎ(2008.1.20)

題   : 「聖霊の注ぎ」   宣教:  福田 勝敏 牧師
聖書  : イザヤ書  32章15節~20節
イザヤ書28、30、31、33章の冒頭は「災いだ」で始まっています。しかし、間に挟まれるようにして、本章は「見よ、正義によって一人の王が統治し、高官たちは、公平をもって支配する」(1)から始まっています。
ここで言われている「一人の王」は、9章5、6節で預言されている「ひとりのみどりご」であり「驚くべき指導者、力ある神」と呼ばれるお方であり、「正義をその腰の帯と」されるお方です。このお方の後に神の霊がおいでになります。

1.聖霊の注ぎ
神の霊は、天地創造のときに働かれた霊であり聖霊です。この聖霊なる神は正に三位一体の神、聖霊なる神であり、ヨハネ14:16、17でイエス様が約束され、使徒言行録2:1~4で弟子たちの上にお降りになったお方なのです。

2.聖霊に満たされた結果
聖霊がおいでになったところには公平と正義が住むようになります。この正義の源である聖霊の生み出すものは平和であり、安らかな信頼です。
憂いなき休息の場所にすむことができるというのです。つまり、聖霊は正義の神であり、平和の神であり、休息を与えられる神なのです。
わたしたちの心の中に、真の安らぎや平和が無いなら、そこに聖霊の働きを止めているものがないか、よく点検してみる必要があります。ここに言われる、聖霊に満たされ、支配されているときには、争ったり、傷付け合ったりするはずが無いからです。

3.災いの向うにある祝福
神に背き、聖霊を悲しませる歩みを続けるとき、神が乗り出して裁きを行われます。しかし、素直に悔い改め主に立ち返るとき、主は祝福をもって臨んでくださいます。種を蒔き、家畜を放牧するという表現は家庭生活が安定し、家族が安全に守られていることを指します。
聖霊に満たされた人々の家庭には安心と平和があるのです。神を中心にした交わりと祈りの家庭は、「わが民は平和の住みか、安らかな宿、憂いなき休息の場所に住まう」のです。